
東京にもストーンサークルがあるんだ!と驚き、これはぜひ!と思い立ち町田市に出かけました。
先日、東京都内にもストーンサークルを見学できる場所がある、という記事を読み、「都内なら千葉県在住の私でも気軽に行けるはず!」と思い立ち、月曜日の朝早くに家を出て、さっそく見学へと向かいました。
都内で唯一のストーンサークル、その名も『町田市田端環状積石遺構』。 「日本一駅から近いストーンサークル」と言われている通り、本当に駅から近く、最寄り駅は京王電鉄相模原線の『多摩境駅』です。
実はこの多摩境駅、私の祖父母が眠るお墓がある場所でもあります。 いつもは母たちと車で来るのですが、今回はひとり。高速道路の渋滞を避けたい気持ちもあり、千葉から電車で2時間半(車を利用していたらもっとかかっていたかもしれません)かけて到着しました。
目的地にもよりますが、電車は乗り換えの回数が多いと少し大変に感じてしまいますね。
京王電鉄相模原線「多摩境駅」から小山白山方面に徒歩5分ほど。住宅街の中にある遺跡ですので見学するときは静かに見学しましょう。解説看板、ベンチあり。
多摩境駅から田畑環状積石遺構へ
私は去年の12月末ごろ、町田市にある国指定史跡『高ヶ坂(こうがさか)石器時代遺跡(八幡平遺跡)』を訪れたばかりでした。
八幡平(はちまんだいら)遺跡は市内を一望できる台地の上にありますが、今回見学した『田端環状積石遺構』も、同じように見晴らしの良い高台に位置しています。
10時半ごろ多摩境駅に到着。
Googleマップで遺跡の位置を確認。
アプリの経路案内では、駅のロータリーから『小山白山公園』を通って下りていくように出でいたので、その通りに歩いてみました。


ところが、その公園の階段が思いのほか急で、「多摩境駅周辺はこんなに高い位置にあるんだな」と、地形については素人の私ですが、とても驚きました。
あとで気になって調べてみたところ、町田市はもともと起伏に富んだ地形なのだそうです。これについては、もう少し詳しく調べてみたいと思いました。










公園をぬけて田畑環状積石遺構のほうへ歩いていくと、遺構までの距離がわかる看板があります。


そして、こちらの角を右に曲がると、田畑環状積石遺構の看板が見えてきます。


ちなみに、ここの道路をそのまま真っ直ぐ進んでいくと、頭上に『町田市田端環状積石遺構』という看板が見え、そこが「田端・田端東遺跡」の入り口になっています。




遺跡は芝生の公園として整備されており、ベンチや説明看板が設置されています(現在は遺構の保護のため、埋め戻し保存がされています)


保育園児たちと保育士さんが細い路地から入っていったので、私もその後ろについて行くかたちになってしまった。
はたから見れば「若干、不審者かも……?」という状況だった気がして、少し苦笑い。
「皆さんは何をしに行くのかな」と思いながら一緒に入っていくと、園児たちは田端遺跡の芝生で元気に遊び始めました。
その光景を見て、私は「あぁ、ここの遺跡もみんなの憩いの場になっているんだな」と、再び嬉しい気持ちになりました。
東京都指定史跡『町田市田端環状積石遺構』
現在、住宅地に囲まれた場所に位置していますが、今もなお、見晴らしの良い高台の上にその姿(復元)を留めていました。




環状積石遺構に向かって左側に、この場所を説明する看板がありました。設置されてからかなりの月日が流れているせいか文字が薄くなっており、まあまあ劣化が進んでいるようで文字を読むのも難しいほど。


自分が撮ってきた写真から、看板に書いてあることをここに書き出してみました。
縄文時代後期中頃から晩期中頃(約3,900~2,800年前)にいたるまで連続的に構築された遺構で大小の自然礫を帯状に積上げ、長軸(東西)約9メートル、短軸(南北)約7メートルの楕円形を呈し、ほぼ長軸上に富士山を望む。また冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕日を観測できる。積石の周囲には周石墓7基、土坑墓25基、組石6基がある。積石の内部からは石棒、刻線文石、大珠、玉類、土偶、耳飾、スタンプ形土製品、注口土器、埋甕など日常用具以外の特殊な遺物が多数発見されており、本地域一体に居住する集団の宗教的な場であったと考えられる。
2015年(平成27年)3月設置とあるので、こうなってしまうのも仕方がないのかも。
下の方にある写真は発掘当時のもののようです。右上には図面、下には土器の写真もありますが、全体的に年季が入っていて少し見づらい印象です…
環状積石遺構の出土品は非常にオールスター、ぜひ実物を見たいです。町田市考古資料館に行けば少しでも見学できるかな、考古資料館にも行きたいですね。
町田市教育委員会の方、貴重な資料なので、読みやすい新しいものに作り直していただけると嬉しいです!
ぐるっと環状積石遺構を見学してみます。








こちらの石で囲いをしているような場所は、さきほど書いてあった『周石墓』でしょうか。






写真の左側に見える保育園児たちと保育士さんたちは、環状積石遺構の遺跡公園で元気に走り回って遊んでいました。
前回の八幡平遺跡もそうでしたが、遺跡公園がみんなの遊び場になり、楽しそうに過ごしている姿を見ていると、私までひとり嬉しくなってしまいました。
最後にもう少し見学してみようと思います。










田端・田端東遺跡
環状積石遺構に行くために右に曲がった角まで戻り、左側を道路にして真っ直ぐ歩いていきます。
さきほど載せた写真の入り口までもどり、そこから遺跡公園のなかに入ってみます。


入り口のちかくには、遺跡を解説している看板がありました。


境川に面した丘陵のふもとにひろがる縄文時代の遺跡でムラ、お墓、お祭りをしたと考えられる環状積石遺構(ストーンサークル)が発見されました。1968年に発見された環状積石遺構は1971年に東京都史跡に指定されました。約5,000年前に竪穴住居からなる大きなムラがつくられ、約3,900年前には墓地として使われました。その後、墓地の上に環状積石遺構がつくられ約2,800年前まで使われてたと考えられます。現在、史跡は埋め戻しによって保護され、環状積石遺構のレプリカが展示されています。
右上のQRコードを読み込むと、田畑環状積石遺構の出土遺物を見ることができます。
入り口から右側のほうには、環状積石遺構の解説看板があります。


田端環状積石遺構は田端・田端東遺跡の中に含まれる史跡で縄文時代中期から晩期(約5,000年~2,800年前)にかけての集落、墓地、祭祀場から構成される。周辺の田端東遺跡(南東に隣接する多摩ニュータウン通り)、多摩ニュータウンNo.246遺跡(現在小山白山公園)などとともに広域の遺跡群を構成している。
ここでは史跡全体について説明する。
中期には居住域として利用され、竪穴住居跡7軒、配石2基が発見された。後期には南北22メートル×東西10メートルのハンチに集団墓地が形成され、50基以上の墓壙が分布すると推定される。墓地上に構築された後期から晩期の環状積石遺構は周辺に居住する集団が死と再生に関連する際しを行った場として推定され、当時の精神文化をうかがう上で貴重な遺構である。南西に見える丹沢山地、富士山の眺望は遺跡の選地に関連すると考えられ、冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽が観測できる。現在は環状積石遺構1基、周石墓7基、土壙墓31基、組石6基、竪穴住居跡7軒、配石2基が盛土保存され、環状積石遺構上の同位置には1968年(昭和43年)発掘時の様子に復元された複製が展示されている。
環状積石遺構のレプリカは、私が生まれる前から展示されているんですね。
年季が入ってきているからレプリカというより、本物と馴染んでくるというか、むしろ本物みたいな感じになってきてもおかしくない、みたいな感じです笑。


環状積石遺構を見学し終え多摩境駅をあとにし、相模原市立博物館がある淵野辺駅へ移動しました。
駅近のストーンサークル『町田市田端環状積石遺構』、景色も良くベンチもあるので、多摩境駅に来た際にはぜひ見学してみてください(看板を新しくしてくれると助かります)




