
日本で初めて敷石住居が発掘された遺跡です。八幡平遺跡は公園になっており、景色も良く、東屋には遺跡の解説看板が設置されています。
東京都町田市にある公園『芹ヶ谷公園』で、ポケふた巡りをし終わったあと、公園のとなりにある遺跡『八幡平遺跡』へと行きました。
芹ヶ谷公園の国際版画美術館側にある坂を上がり住宅地をぬけるとスロープと石の看板が見えてきます。駐車場がある方面から行くと、八幡平遺跡の看板が見えます。
八幡平遺跡は、町田駅周辺にある遺跡群『高ヶ坂(こうがさか)石器時代遺跡』のひとつです。
町田市のサイトによると、高ヶ坂石器時代遺跡は「八幡平(はちまんだいら)遺跡」「牢場(ろうば)遺跡」「稲荷山遺跡」の3地点からなる縄文時代の集落跡で、日本で初めて敷石住居が発見された場所だそうです。
現在の牢場遺跡にあたる場所で、畑のごぼうが曲がって育っているのが見つかったことをきっかけに、1925年に発見されました。
現在、遺構は保存のために埋め戻されていますが、その真上には当時の様子がわかりやすく再現されています。
今回は八幡平遺跡しか見学できませんでしたが、次に町田駅周辺へ行く機会があれば、ぜひ残りの2つの遺跡にも足を運んでみたいと思います。


公園の周辺は、急な坂道が多いエリア。 今回見学する八幡平遺跡は、牢場遺跡・稲荷山遺跡とは谷を隔てた台地の上に位置しています。


階段、もしくはスロープを歩いていくと、ひとつの東屋があります。
その中には、ベンチと遺跡の説明看板がありました。


高ヶ坂石器時代遺跡は、牢場遺跡、稲荷山遺跡、八幡平遺跡の3つの遺跡から構成されています。1925年(大正14年)10月、牢場遺跡の調査が実施され、石が敷き詰められた遺跡が確認されました。この遺跡は炉を伴うことから住居跡(敷石住居跡)と推定されました、牢場遺跡に隣接する稲荷山遺跡では医師がまとまって確認されました(配石遺構)。また、八幡平遺跡では、石を敷き詰め炉を伴う遺構(敷石住居跡)が確認されました。
敷石住居とは床面に一部または全面に石を敷き詰めたものです。縄文時代中期から後期にかけて東北地方南部・関東地方、中部地方にみられ、一般的な住居とする説や祭祀に関する特殊な建物とする説があります。縄文時代の住居構造の研究は、高ヶ坂石器時代遺跡で敷石住居跡が調査された大正時代後半から盛んになります。当時の研究は貝塚の調査が中心だったため、丘陵地における高ヶ坂石器時代遺跡の発見は貴重は事例となり、遺跡は現地で保存公開されました。また、牢場遺跡には上屋かかけられ見学できるようになり、稲荷山遺跡と八幡平遺跡は埋め戻されました。そして1926年(大正15年)2月24日、高ヶ坂石器時代遺跡は史跡住居跡の発見第一号として国の史跡に指定されました。
指定から年月が過ぎ、埋め戻された稲荷山遺跡・八幡平遺跡の正確な位置が不明確となり、牢場遺跡の上屋も老朽化が進みました。このため、2014年から遺跡の再調査を行い、史跡の再整備を実施しました。牢場遺跡は発見当時のまま、本物の遺構を見ることができます。稲荷山遺跡・八幡平遺跡については埋め戻した上に石を使って遺構を再現しています。
牢場遺跡にいけば本物の敷石住居が見られるという、これはぜひとも牢場遺跡に行きたいものです。


東屋から遺跡の奥には、手鏡のような形をした敷石住居が見学できます。




発見された敷石住居は、柄鏡形竪穴建物(えかがみがたたてあなたてもの)。
初めて見たかたちで、私はちょっと興奮してしまいました笑。
この柄鏡形竪穴建物は、高ヶ坂石器時代遺跡が最初の発見例です。




こう見ていると他の遺跡も、ぜひ見学してみたいという気持ちが強まりました。
八幡平遺跡は台地の上にあるだけあって、とにかく景色が抜群です。 縄文時代の人になりきって、「当時はどんな風景が広がっていたんだろう?」なんて想像を膨らませてみるのも楽しいかもしれませんね笑。




初めての「柄鏡形住居」に感動!他の遺跡にも足を運んでみたいと思わせてくれる、素敵なきっかけをもらいました。
現在の遺跡は、地域の方たちの散歩コース、ワンちゃんたちが散歩していたりと、地域の憩いの場として愛されている風景がとても嬉しかったです。
正直、最初は「ポケふた巡り」のついでという気持ちでしたが、帰る頃には私にとって忘れられない、特別な遺跡になっていました。





