千葉市生涯学習センターで開催された縄文時代中期のヒスイ大珠についての講演会を聞いて以来、私は縄文時代のヒスイにすっかり魅了されています。
その講演会で講師の先生が、
「茨城県の博物館に、とても大きな縄文時代のヒスイ大珠があります」
と話されていました。
その言葉がずっと頭から離れず、「いつか必ず見に行こう」と思っていたのですが、2025年5月26日、ついに茨城県常陸大宮市にある常陸大宮市歴史民俗資料館を訪問してきました。
縄文時代のヒスイ大珠は、硬いヒスイに穴を開けて作られた装身具で、当時の有力者が身につけていたと考えられています。
そして資料館で出会ったヒスイは、想像していた以上の存在感でした。
常陸大宮市役所のほぼ隣にある「常陸大宮市歴史民俗資料館」
常陸大宮市歴史民俗資料館は、常陸大宮市役所のほぼとなり、駐車場も大きく、JR水郡線「常陸大宮駅」から徒歩5分ほどで着くという、アクセスは良好な資料館です。そして、入館料無料です。
資料館自体はこぢんまりとしてワンフロアのみの展示室ですが、展示されている各遺跡からの遺物、史料は見ごたえありでした。


受付を済ませたあと、スリッパに履き替えて見学します。

白と緑の美しい石「糸魚川産のヒスイ」:坪井上遺跡のヒスイの大珠
資料館に展示されているのは、坪井上遺跡から出土した7点のヒスイ大珠です。
展示ケースの中に並ぶ大珠を見た瞬間、「ここまで来て本当に良かった」と思いました。

ヒスイは「遺跡からヒスイが出てくるけど、産地はどこなんだろう?」と、長年のナゾでしたが(海外から運ばれてきていたと思われていた)、昭和の時代、新潟県でヒスイが発見されます。それから、遺跡から出るヒスイは、新潟県糸魚川産という、長年のナゾが解けたのでした(簡単にザックリ解説)。
資料館に展示されているヒスイも糸魚川産です。
すごいですよね!茨城県の遺跡から新潟県のヒスイが出土するだなんて。
いろいろな博物館や資料館などに行くと、あんな遠いところからここまで人が運んできたのか!と、驚くというか感心することが多くて面白いです。


ヒスイはとても硬く、孔をあけることは、技術と根気(時間がかかる)がいる作業です。しかし、縄文時代の人たちは、このようにキレイな丸の孔をあける技術を習得し、均等で同じような大きさの孔が開けられています。
ちなみにヒスイの大珠は、縄文時代中期あたりがピークで、徐々にヒスイの装飾品は小さくなっていきます。そして、ヒスイの装飾品はありますが、ガラス製の装飾品などに変わっていきます。


火焔土器のひとつ前の形式土器「五丁歩式土器」
7個のヒスイの大珠のとなりに土器があります。

右側にある土器は「五丁歩式土器」といい、火焔土器のひとつ前の形式土器です。
火炎土器は、新潟県を中心につくられた土器で、新潟県十日町市にある「十日町市博物館」には、国宝の火焔型土器が展示されています。
坪井上遺跡からヒスイと五丁歩式土器が出土したことにより、新潟県に住んでいた?縄文人の方が、ヒスイと五丁歩式土器を茨城県常陸大宮市に持ち込んできたと考えられています。


ここでも、縄文時代のネットワークの凄さを実感しました。
弥生時代の再葬墓:泉坂下遺跡・宿尻遺跡
弥生時代とは?と言われると、まっさきに思い付くのは「米づくり」「稲作」だと思います。
そんな米づくりなどのほかに、弥生時代といえばというお墓、「再葬墓(さいそうぼ)」という、1度埋葬をしたあと、骨を壺などに入れて、再び埋葬したお墓があります。
常陸大宮市にある遺跡「泉坂下遺跡」は、国の史跡になっている遺跡で、面白い壺(土器)人面付壺形土器が出土しています。そして「宿尻遺跡」は、2024年に開催された「発掘された日本列島2024」で紹介された遺跡です。


「宿尻遺跡」壺形土器を環状に配置した弥生時代の再葬墓
宿尻遺跡は、弥生時代中期の再葬墓遺跡です。
那珂川左岸の中位段丘上に立地し、鷲子山塊を流れる大沢川との合流地点に位置しています。
弥生時代の再葬墓は壺形土器に骨を納めることが特徴で、人面付土器が一緒に出土することがあります。人面付土器は、人面を立体的に表現した土器で、壺形土器の口頸部に顔面を表現し胴部を体に見立てたものが東日本を中心に分布します。
常陸大宮市の再葬墓遺跡は久慈川流域の史跡泉坂下遺跡と中台遺跡、那珂川流域の小野天神前遺跡があり、宿尻遺跡は市内で4番目に発見された再葬墓遺跡です。※発掘された日本列島2024年から。



出土した壺形土器は、口縁部から底部まで残っている個体が多いのですが、口頸部を欠いた状態で埋葬されていたものもあります。また、炭化物が付着した土器が多いという特徴もあります。このことから、土器は埋葬のために制作されたものではなく、日常生活に使用されていたものが転用されていたと考えられます。
土器には頸部に文様がある個体も多く、左右に傾斜して施される沈線を組み合わせた「格子状文」「重三角文」「重菱形文」などの文様で構成されます。遊離した状態で見つかった土器の頸部には、中央に丸点のある三角形が線刻されていました。泉坂下遺跡の第1号墓抗で出土した人面付土器の目の表現によく似ているため、これは簡略化された人面の表現と考えられます。※発掘された日本列島2024年から。



常陸大宮市歴史民俗資料館での展示
常陸大宮市歴史民俗資料館の展示を他紹介します。
旧石器時代の石核


縄文土器と石器類
阿玉台式土器、加曽利E式土器などの土器が展示されていました。

阿玉台式土器(おたまだいしきどき)は、縄文時代中期前半(約5,000年前)に関東地方東部(千葉県・茨城県など)を中心に発展した縄文土器です。千葉県香取市の国指定史跡「阿玉台貝塚」が標式遺跡となっており、関東地方の縄文土器編年における重要な基準となっています。粘土に「金雲母」と呼ばれる鉱物が意図的に混ぜられており、光に当てると表面がキラキラと光るのが最大の特徴です。














古墳時代:埴輪と装飾品




弥生時代後期:茨城県の弥生文化を代表する十王台式土器
十王台式土器は、那珂川・久慈川流域及び県北の海沿いの地域を中心に分布する、弥生時代後期の土器です。口が広く、胴が長い壺形土器が最も多く出土しています。






常陸大宮市歴史民俗資料館は、決して大規模な博物館ではありません。しかし、縄文時代のヒスイ大珠をはじめ、再葬墓、縄文土器、石器、埴輪など、常陸大宮市の歴史を幅広く学ぶことができる充実した資料館でした。
なかでも坪井上遺跡から出土した7点のヒスイ大珠は圧巻です。縄文人たちの高い加工技術と、遠く新潟県糸魚川からヒスイが運ばれてきた広域交流の実態を、実物を通して実感することができました。
縄文時代のヒスイに興味がある方はもちろん、茨城県の歴史や考古学に興味がある方にもおすすめの資料館です。
私もまた機会があれば訪れ、今度はヒスイだけでなく常陸大宮市の遺跡についてもさらに学んでみたいと思います。
