飛ノ台史跡公園博物館を見学|縄文時代早期の炉穴と土器が面白かった

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飛ノ台史跡公園博物館の1階では企画展が開催されていました

1階の企画展を見学したあと、2階に移動して「飛ノ台貝塚」の展示を見学しました。

目次

7000年前の暮らしが残る「飛ノ台貝塚」

飛ノ台貝塚は、約7000年前の縄文時代早期の遺跡です。

当時、飛ノ台の台地には人々が暮らしており、台地の上に住居を建て、海や森の恵みを得ながら生活していました(飛ノ台史跡公園博物館パンフレットより)。

2階には、飛ノ台貝塚から出土した土器や石器などが展示されていて、個人的にはかなり興味深い内容でした。

今回は、自分が特に気になったものを中心に写真を撮ってきました。

飛ノ台貝塚は日本で初めて炉穴が見つかった遺跡として有名です

飛ノ台貝塚は、7000年前の縄文時代早期の遺跡で、東京湾にそそぐ海老川や長津川を東に見下ろす標高15mの台地上にあります。また、東京湾から吹く海風をさえぎるようなところにあり、当時は海に近く、北は林であったと考えられています。飛ノ台貝塚は日本で初めて炉穴の見つかった遺跡として有名です。

飛ノ台貝塚のパンフの表紙にもなっている土器です
縄文時代早期の土器です(飛ノ台史跡公園博物館ランキング6位の土器です笑)

展示室の中央には、住居跡をイメージした展示もあり、飛ノ台貝塚の雰囲気がわかりやすく再現されています。

パンフレットの表紙にもなっている土器も展示されていました。

ここでまた、自分の知らない縄文土器の様式名がたくさん登場。

安行式土器、野島式土器、姥山式土器など、飛ノ台史跡公園博物館では多くの縄文土器の様式を知ることができ、とても勉強になりました。

土器を見ているだけでも、「地域ごとに違いがあるんだなあ」と実感します。

縄文時代前期は「野外」で煮炊きしていた?【炉穴とは?】

今回、特に印象に残ったのが「炉穴(ろあな)」の展示です。

私はこれまで、「縄文時代の煮炊き=竪穴住居の中でするもの」というイメージを持っていました。

ですが、飛ノ台貝塚がある縄文時代早期には、屋外で煮炊きをしていたようです。

展示室の入り口には、その様子を再現したイラストもありました。

展示室の入り口にあるイラスト:炉穴とはこのように使用されていたんですね

「炉穴(ろあな)」とは、日本列島の縄文時代草創期から早期にかけて見られる、野外に掘られた調理・加工用の穴のことです。

炉穴

飛ノ台史跡公園博物館のパンフレットには、炉穴について詳しい説明が少なかったのですが、展示ではイラストや写真があり、できる限り記録として写真を撮ってきました。

実際に発掘された炉穴の展示もあります。土が埋まった状態ですが、周囲には復元イラストや解説も展示されていました。

さらに、炉穴がどのように使われていたのかを説明する展示も。

炉穴はどのように使ったのでしょうか

さらに面白いのが、土器の形。

炉穴で使うため、土器の底が細く作られているものが多いんですよね。

土器の底が細くなっているのがわかります

普通に地面へ置こうとすると安定しませんが、炉穴に差し込むように使えば理にかなっています。

「用途に合わせて道具の形を変える」という発想は、現代とまったく変わらないんだなあと感心しました。

炉穴模型、ポチっとボタンを押すと火がつきます

入り口付近には炉穴の模型もあり、スイッチを押すと赤い光が点灯して、火が燃えているように見える仕掛けになっています。

思わず「おお~、燃えてる!」とテンションが上がりました。

炉穴は、単に煮炊きをするだけでなく、燻製づくりにも利用できたそうです。

つまり、食べ物を保存する知恵もあったということ。

縄文時代、本当にすごいですよね。

竪穴住居が普及する前の縄文時代早期には、主に屋外でこのような大規模な調理が行われていました。その後、天候に左右されずに調理できるよう、住居内の「炉」へと進化していきます。

飛ノ台貝塚から出土した縄文土器たち

飛ノ台貝塚の土器や石器

飛ノ台貝塚から見つかった土器の特徴は、貝塚で土器の表面をひっかいたり、線を引いたりして文様をつけていることです。この時期の土器の底の形が、とがった形(尖底(せんてい))からたいら(平底(ひらぞこ))にかわる時期です。また、さまざまな石器も見つかっています。

展示されていた土器や石器も、とても興味深かったです。

縄文時代前期の土器は、比較的シンプルなデザインのものが多い印象。

ただ、自分の中ではどうしても、縄文時代中期の八ヶ岳周辺から出土する「火焔型土器」などのインパクトが強烈なので、余計にシンプルに感じるのかもしれません。

これはどの土器?

ですが、よく見ると、それぞれの土器にはちゃんと特徴があります。

底が尖ったもの。

少し平らになっているもの。

文様の違いも面白いです。

7000年前の土器たちです
形の違いや文様の違いを見比べるのも楽しいですよね
口縁部の形はお花のような開いた形をしていますね
尖底から平底に移り変わっていきます
平底土器
土器の形にも変化が?

展示されている土器の一部には、色が違う部分がありました。

これは、発掘時に破片が見つからなかった部分を補って復元している箇所とのことです。

飛ノ台貝塚の土器展示では尖底土器から平底土器への移り変わりがよくわかる土器たちでした

貝塚から見えてくる縄文人の暮らし

2階では、飛ノ台貝塚から出土したさまざまな資料も展示されていました。

貝塚の断面展示や、貝殻、イルカの骨なども展示されています。

飛ノ台貝塚の貝塚の断面

貝塚からは、土器の破片、埋葬された人などが見つかることがあり、貝塚はただのゴミ捨て場ではなかったのです。

貝塚から土器の破片を発見
飛ノ台貝塚から出土した貝殻
イルカの骨

現在の東海神駅や新船橋駅周辺は、海のイメージがあまりありません。

ですが、船橋市の資料を読むと、「海神」という地名の由来について、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、当地へ賊徒平定にやって来たとき、海上に光り輝く船があった。近づいてみると、柱に神鏡がかかっており、それを浜に持ち帰り、祀った場所が海神である。>>海神の歴史と地名の由来

海神あたりは浜が近かったということがわかります。

イルカの骨が出土していることからも、海との関わりが深かったことが想像できますね。

コウイカ類の利用
浮子
こんな感じに浮子を使っていたようです
尖頭器、石鏃など
飛ノ台貝塚の石皿
貝刃と石斧
縄文時代の人たちの道具の利用
打製石器と磨製石斧

ほかにも、軽石の利用や石器、黒曜石製の石鏃なども展示されていました。

石器の使い方を見ると、「素材が石から鉄に変わっただけで、基本的な動作は今とあまり変わらないんだな」と思わされます。

機械化こそ進みましたが、人間の作業そのものは昔から大きく変わっていないのかもしれません。

「おたま」が縄文時代にもあった?

貝杓

個人的に気になったのが「貝杓(かいじゃく)」。

貝殻を利用して作られた道具なのですが、形がまるで“おたま”のよう。

Googleで「貝杓」を検索すると、「貝杓子」という言葉も出てきて、実際におたまのような形の道具がたくさん表示されました。

ということは、縄文時代にも“おたま”的な道具が存在していたのかもしれません。

こういう発見、面白いですよね。

ナゾの土製円盤・動物の顔をした土製品

円盤状土製品
なにに見えますか?イノシシ形土製品と展示されていますが…笑

初めて知った「トロトロ石器」

局部磨製石器(トロトロ石器)

さらに、初めて見る名前の展示もありました。

その名も「トロトロ石器」。

気になって調べてみると、縄文時代早期に東北南部から九州まで広く分布した、石鏃に似た形の儀礼用の打製石器とのことです。

全体に磨耗した痕跡があることから「トロトロ石器」とよばれています。

弥生時代の「銅矛」を少し思い出しました。

知らない遺物に出会えるのも、博物館巡りの楽しさですね。

「謎めいた男女の死」に古代ロマンを感じる

そして、最後にかなり印象に残った展示がこちら。

「謎めいた男女の死」。

合葬された男女の人骨が発見されました。

合葬された男女

飛ノ台史跡公園博物館のパンフレットには、

「男女2体の埋葬された人骨が発見されました。ふたりが同時に埋葬されたのは、どうしてでしょう?秘められた男女の物語があるのでしょうか?」

と書かれていました。

展示パネルには、さらに詳しい説明があります。

「貝塚の下から2体の屈葬人骨が抱き合うような形で見つかりました。縄文時代早期の墓としては大変珍しく注目されました。専門家の鑑定によると、壮年期の男性と思春期の女性で、同じ家族なら兄と妹、そうでなければ夫婦または恋人同士ではないかということです」

……すごくないですかね?

この説明文だけでも、いろいろ想像してしまいます。

縄文時代の人々にも、それぞれの人生や人間関係、物語があったのだろうなあと感じました。

そんなことを考えながら、私は少しニヤニヤしつつ(良い意味で)、3階へ向かったのでした。

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