山梨県から長野県にかけて広がる八ヶ岳周辺は、縄文時代、とりわけ縄文時代中期に大きく栄えた地域です。
八ヶ岳の西側から南側にかけては、豊かな森林や水資源に恵まれ、縄文時代中期には大規模な集落が数多く営まれました。さらに、周辺には良質な黒曜石の産地もあり、黒曜石を通じて遠く離れた地域とも交流していたことが分かっています。
そして、この地域の縄文文化を特徴づけているのが、驚くほど装飾性の高い縄文土器と、多種多様な土偶です。
縄文時代前期には、比較的シンプルで素朴だった土器が、中期になると大きく姿を変えていきます。
器の口縁部を大きく波打たせたり、粘土を立体的に盛り上げたり、渦巻きや動物、人などを思わせる複雑な装飾を施したりと、日常生活で使われる道具とは思えないほど手の込んだ土器が作られるようになります。
なかには、「水煙文土器」や「藤内式土器」など、八ヶ岳周辺ならではの独特な土器も見られます。
土偶も同じです。
手のひらに収まるような小さく素朴なものから、30cmを超える大型の土偶まで、その姿は実にさまざま。女性の身体を強調したものや、独特な表情を持つものなど、縄文人の豊かな表現力を感じさせる土偶が数多く残されています。
なぜ、縄文人はここまで土器や土偶を作り込んだのでしょうか。
そこには、日々の暮らしだけではなく、自然への祈りや生命への思い、そして縄文人独自の精神世界が関係していたのかもしれません。
現在も八ヶ岳周辺には、長野県富士見町の井戸尻遺跡、茅野市の尖石遺跡や与助尾根遺跡、山梨県北杜市の金生遺跡など、縄文時代中期の文化を今に伝える遺跡が数多く残されています。
今回は、そんな八ヶ岳周辺に花開いた縄文文化を知るため、山梨県立考古博物館を訪れてきました。
山梨県立考古博物館では、山梨県内にあるさまざまな遺跡から出土した土器や土偶、石器などが展示されており、旧石器時代から古墳時代、そして、鎌倉・戦国時代まで、山梨県の歴史をたどることができます。
その中でも今回、特に注目して見学したのが、縄文時代の展示です。
山梨県内には、八ヶ岳南麓をはじめ、甲府盆地や富士山周辺など、数多くの縄文遺跡が残されています。
展示室には、そうした遺跡から出土した縄文土器や土偶などが並び、実際に目の前で見ると、その造形の細かさや迫力に驚かされます。
特に縄文時代中期の土器は、複雑な文様や立体的な装飾が施されたものが多く、「これを数千年前の人々が作ったのか」と思わず見入ってしまうほどです。
今回は、山梨県立考古博物館で出会った土器や土偶を中心に、そこから見えてくる八ヶ岳周辺の縄文文化と、当時この地域で暮らしていた人々の生活について、紹介していきたいと思います。


山梨県の遺跡から出土した縄文土器|縄文時代中期の華やかな装飾(一の沢遺跡・酒呑場遺跡)
縄文時代、土器を作っていたのは主に女性と子供たちだったのでは?と言われています。
縄文時代中期にあたる八ヶ岳周辺の遺跡からは、華やかな装飾が施された土器が数多く出土しています。
華やかで美しいものだけでなく、力強く迫力のあるもの、細かな文様が施された繊細なものなど、その表情は実にさまざまです。
土器をひとつひとつ見ていると、「縄文時代の土器」とひとくくりにはできないほど個性豊かで、見れば見るほど面白く感じます。何千年も前に作られたものとは思えないほど、現在の私たちにも強く印象に残る土器ばかりでした。

一の沢遺跡
一の沢遺跡は笛吹市境川村小黒坂に位置する縄文時代中期中葉の大規模な集落が確認されている遺跡です。
現在は私有地になっているため、遺跡の中には入れないようです。










酒呑場遺跡
酒呑場遺跡は、北杜市長坂町の県立酪農試験場内にある遺跡です。試験場の老朽化に伴う増・改築のため、1994年から1996年にかけて調査を行いました。調査では、縄文時代前期から後期、古墳時代前期の集落跡が認められ、約200軒の住居跡と3000基の土坑が確認されました。(山梨県のサイト参照)











山梨県の縄文時代中期の土器
さきほど紹介した「一の沢遺跡」と「酒呑場遺跡」以外の遺跡の土器を見ていこうと思います。

土器に装飾された動物?たち
一の沢遺跡や酒呑場遺跡から出土した土器にも見られましたが、八ヶ岳周辺の縄文土器には、動物を思わせるような装飾が施されたものが多く見られます。












深鉢形土器(曽利式)殿林遺跡(甲州市塩山):重要文化財

山梨県内の縄文遺跡から、華やかな縄文土器がたくさん出土します。殿林遺跡では、ハープのような文様が特徴の、中期後半の大形土器が出土しました。形や文様が優美に洗礼されており、海外でも非常に高い評価を受けています。(山梨県立考古博物館の冊子から)

水煙文土器・安道寺遺跡(甲州市)
水煙文土器は、水や煙が渦を巻くような曲線的な模様が特徴の縄文土器です。複雑で立体的な装飾が施されており、縄文人の高い造形力を感じることができます。




山梨県内にある八ヶ岳周辺の遺跡から出土した土器を見て、改めて縄文時代中期の土器の素晴らしさを感じました。
土器に施された複雑で迫力のある文様はもちろん、粘土を立体的に盛り上げたり、細かな部分まで繊細に表現したりと、その造形には驚かされます。
そして何より興味深いのは、こうした装飾の一つひとつに、縄文時代の人々が自然や生命に対して抱いていた思いや、祈りのようなものが込められているように感じられることです。
数千年前の人々が作った土器を実際に目の前にすると、単なる生活道具としてではなく、当時の人々の豊かな感性や精神世界まで伝わってくるようでした。
縄文時代早期から後期までの土器を見ていきます
ここからは縄文時代早期から後期までの土器の違いを見ていこうと思います。
縄文時代早期・前期の土器

縄文時代早期の土器には、縄を転がしてつけた「縄文」をはじめ、貝殻や棒状の道具などを使ってつけたさまざまな文様が見られます。
この時期の土器は、後の縄文時代中期に見られるような複雑で立体的な装飾はまだ少なく、比較的シンプルな文様のものが多いのが特徴です。
しかし、ただ縄目をつけただけではありません。土器の表面を削ったり、線を引いたり、押し付けたりすることで、波のような模様や格子状の模様など、さまざまな表現が生み出されています。

縄文時代早期の土器の特徴として、土器の底が尖っている「尖底」という形が多く、支えがないと自立しない形をしています。縄文時代早期から定住生活が始まり、土器の底を地面に埋めて煮炊きをする尖底土器から、建物内でも安定して自立できる平底の土器へと変わっていきました。





縄文時代中期の土器







両腕を横に振り上げたような人体文の深鉢形土器

この深鉢形土器は、高さ55センチ、口径は36センチあり、表面にはさまざまな文様がつけられています。
中でも、記号のように見える文様は、人物を象徴的に表現したものと考えられ、「人体文」などと呼ばれています。ふたりの人物が対になり、両腕を横に振り上げたような姿は躍動的で、あたかも踊っているように見えます。一の沢遺跡(笛吹市境川町)出土の深鉢形土器にも同様のものがあり、これらは人体文をつけた代表的な土器として知られています。


顔面把手付深鉢形土器(出産土器)
縄文時代中期の土器展示で、ひときわ目を引く土器があります。
縄文時代中期(5,500年~4,500年前)、この地域では、女性の顔とみられる表現をもつ土器が出土します。顔面の表現は精神的な器物である土偶とも共通点が見られ、土器の上に顔面だけではなく、胴体を描いたものもあります。そのため、土器自体が女性ないし土偶の身体に見立てられていたのかもしれません。こうした土器の多くは破壊された状態で出土することが多く、穀物起源神話として世界各地にその形を残す「ハイヌウェレ型神話」の再現を企図したものと考えられます。また、出産の場面を描いた土器なども存在し、安産なども祈られていたのかもしれません。



原町農業高校前遺跡出土品







水煙文土器(曽利式土器)など
さきほどの安道寺遺跡の水煙文土器と同じ、大きさはさほど大きくはないのですが、見事な水煙文土器が展示されています。


縄文時代後期の土器
縄文時代後期の代表的な遺跡「金生遺跡」の展示です。
金生遺跡は、山梨県北杜市にある、縄文時代後期から晩期終末にかけての集落跡です。いくつもの石棺墓を中心にして構成される石造りの祭祀場が特徴の遺跡です。(北杜市埋蔵文化財情報WEB)
金生遺跡の出土品は、北杜市考古資料館に展示されています。






縄文時代の墓「埋甕」
縄文時代の墓は、地面に円形ないし楕円形の穴を掘り遺骸を埋葬する「土坑墓」が最も一般的です。
土坑墓以外には、甕棺墓・石棺墓・廃屋墓などがあります。甕棺墓は、前期中頃から出現し、以後後期まで盛んに行われますが、主に乳幼児の埋葬に利用されていたようです。埋甕もこの一種でしょう。石棺墓は後期・晩期に特徴的なもので、青木遺跡から20墓ちかくも発見されています。後期中ごろには、特に墓域が明確になり、共同墓地も出現しました。

埋甕(うめがめ):埋甕は土器の中に遺体などをおさめ、住居内外に埋める縄文時代の風習で用いられた土器です。出土事例から主に子どもの墓と考えられており、土器をひっくり返して埋められ、土器には底に孔をあけたものも多いです。このように子供用のお墓は、大人の墓とは別な場所に埋められており、子どもがある一定の年齢になるまでは、集落の構成員とみなされていなかったことを示しています。のちに、胎盤やへその緒などを住居入り口に埋める風習も現れ、子供の健康を願うおまじない的な側面もあったようです。








山梨県立考古博物館に展示されている縄文時代の土器などを一部を紹介してみました。
山梨県立考古博物館で縄文時代の土器や土偶をじっくり見学してみると、改めて八ヶ岳周辺の縄文文化の豊かさと、縄文人の造形力の素晴らしさに驚かされました。
特に縄文時代中期の土器は、力強く迫力のあるものから、繊細で美しいものまで実にさまざまです。人や動物を思わせる装飾や、まるで何かの物語を表現しているような土器を見ていると、数千年前の縄文人がどのような世界を思い描いていたのか、いろいろと想像が膨らみます。
縄文時代後期になると土器の雰囲気も変わり、中期の大胆な装飾とはまた違った土器が作られるようになります。さらに、土器そのものだけでなく、埋甕や墓などの展示からは、当時の人々の暮らしや、家族、そして子どもに対する思いまで感じることができました。
今回、山梨県立考古博物館を見学して、「縄文土器」とひとことで言っても、時代や地域によってこれほど表情が違うのかと改めて感じました。
そして、博物館で出土品を見ていると、実際にこれらの土器が見つかった遺跡にも行ってみたくなります。
八ヶ岳周辺には、今回紹介した一の沢遺跡や酒呑場遺跡、金生遺跡など、縄文時代の人々の暮らしを今に伝える遺跡がたくさん残されています(現在は私有地などになっているところもあります)
今度は博物館の展示だけではなく、実際に縄文人が暮らしていた場所を訪ねながら、八ヶ岳周辺の縄文文化をもっと深く見てみたいと思います。
数千年前、この美しい八ヶ岳の麓で暮らしていた縄文人たち。
彼らが残した土器や土偶を見ていると、遠い昔の人々が、なんだか少し身近に感じられるようでした。