山梨県北杜市といえば、八ヶ岳をはじめとする美しい山々に囲まれた自然豊かな場所ですが、実はこの地域には、旧石器時代から現代まで続く長い歴史が残されています。
なかでも興味深いのが、八ヶ岳南麓を中心に広がる縄文時代の遺跡です。北杜市では、さまざまな形や文様を持つ縄文土器をはじめ、土偶や石器、耳飾りなど、当時の人々の暮らしや精神文化を感じられる遺物が数多く出土しています。
今回は、そんな北杜市の歴史を知ることができる「北杜市考古資料館」へ行ってきました。
館内には、縄文時代早期から晩期までの土器が並び、時代とともに変化していく土器の形や装飾を見ることができます。さらに、個性的な顔面把手付深鉢土器やかわいらしい土偶、精巧な土製耳飾り、そして国史跡「金生遺跡」に関する貴重な資料など、見どころがたくさんありました。
今回は、私が実際に見て特に気になったものを中心に、北杜市の縄文文化を紹介していきたいと思います。
北杜市考古資料館(北杜市の遺跡について)
八ヶ岳・甲府駒ヶ岳・茅ヶ岳など、さまざまな山地に広がる広大な北杜市には、旧石器時代以降、多くの遺跡が残されました。華麗な装飾を施す土器文化が花開いた縄文時代、貴重な品々が墓に副葬された弥生・古墳時代、天皇への献上馬を飼育した官牧が営まれた平安時代、数多くの城跡・館跡・砦跡が築かれた鎌倉~戦国時代、それぞれの時代に北杜市は、重要な歴史の舞台となりました。


縄文時代早期から後期・晩期の土器
旧石器時代の獲物を求めてテントや洞窟などを転々とする完全な移動生活から、縄文時代の特徴のひとつ定住生活へと移り変わった要因のひとつに、土器の出現があります。
土器は、煮炊きをするために作られたと考えられ、現在でいう「鍋」にあたります。
縄文時代草創期の土器





縄文時代前期の土器
縄文時代前期前半の土器
縄文時代前期前半の土器は「尖底土器」という、底が尖っている土器が主流でした。




尖底土器は、底が尖った形をした土器で、縄文時代の草創期から早期、前期にかけて多く見られます。尖った底は、地面や炉の灰の中に差し込んで土器を立てるための形と考えられており、主に煮炊きなどの調理に使われたと考えられています。また、尖底には、土器を安定させるだけでなく、熱を効率よく伝えるといった機能があった可能性も指摘されています。
縄文時代前期後半の土器
縄文時代前期前半に多くみられていた「尖底土器」から、さらに定住生活に適応した、底が平な土器が主流になっていきます。
縄文時代の土器は、初期には底が尖った「尖底土器」が多く見られますが、時代が進むにつれて、底が丸みを帯びたものや、平らな「平底土器」へと変化していきます。
これは、土器を地面に差し込んで使う方法から、炉や地面の上に直接置いて使う方法へと、土器の使い方が変化していったことと関係すると考えられています。平底になることで土器を安定して置くことができ、煮炊きや調理など、日常生活の中でより扱いやすい形になっていきました。



縄文時代中期の土器
縄文時代早期・前期の土器は、土器に施されている装飾がとてもシンプルで、土器の形もわかりやすい感じになっています。
縄文時代中期になると、前期に施された文様などが、これでもか!というくらい過剰になっていきます。








曽利式土器(北杜市に多い土器)


曽利式土器の大きな特徴は、水煙渦巻文(すいえんうずまきもん)、流れるような炎や煙、水煙を思わせる、美しくダイナミックな立体的な突起や大きな渦巻き文様が最大の特徴です。


縄文時代後期・晩期の土器
縄文時代後期になると、中期に見られていた過剰な装飾などが見られなくなります。
土器のの厚さも薄くなっていき、沈線や縄文で文様をつける、平面的な装飾になって行きます。後期の特徴的なのは、注ぎ口のある土器「注口土器」が目立つなるようになることです。






ここまで見てきた土器は、北杜市考古資料館の展示室手前の通路に展示されている土器たちです。
では、展示室に入り、北杜市内にある遺跡から出土した土器、土偶、石器などを見学していきたいと思います。

ここからは、撮ってきた写真が多すぎるので、ポイントポイントで記録しておこうと思います。
北杜市にある遺跡についてもっと詳しく知りたいと思った方は、ぜひ北杜市考古資料館へ行ってみてください。
顔面把手付深鉢土器
山梨県立考古博物館でも展示されていた「顔面把手付深鉢土器」。ここ北杜市考古資料館でも、顔面把手付深鉢土器が展示されています。
顔面把手付深鉢土器は、出産土器などで呼ばれている、口縁部の上と胴部の場所に顔がつけられた土器です。胴部にある2つの顔の周りには、人の下半身のような文様があり、その中央から顔が出てきているので、出産を表現していると考えられています。







顔面把手の顔たち(人面装飾)
顔面把手も、土偶装飾の頭部と同じようにもぎ取られたように割られています。土偶装飾と同様にわざと壊したと考えられます。



土偶
土偶の模様がついた土器が出土することがあります。
土偶装飾付土器と呼ばれ、中期前半に作られました。土器の口縁部から頭が突き出しているものや、土偶の全身像が土器の胴部に貼り付けられたものなどがあります。

土偶は、土で作られた人形(ひとがた)です。土器と同様、土偶も地域や時期により様々に変化し、変遷がみられます。
西日本では数が少ないながら縄文時代草創期から見られますが、この地域では縄文時代前期後葉に出現し、好きない時期もありますが、晩期まで継続して見られます。











縄文時代の耳飾(縄文人のピアス・土製耳飾)
耳飾りには、粘土で作った耳飾もありました。
耳栓の形をしたもの、滑車のような形をしたものなどさまざまなです。透かし彫りのような精巧な耳飾が、後期から晩期にかけて作られました。中には、赤く彩られたものもあります。
耳たぶに穴を開け、その穴に耳飾を通してつけていました。現代のピアスと同じです。始めは小さいものから着けていき、徐々に大きいものへと付け替えていきます。耳飾の大きさによって、美しさやその人の地位を表していたのかもしれません。




北杜市考古資料館の展示室内に展示されている土器たち
八ヶ岳山麓を中心とする中部高地では、縄文時代中期にさまざまな造形の土器が数多く作られました。
人の顔や動物の模様、摩訶不思議な幾何学模様、大きくくびれた器形、使用時には邪魔な大きな把手など、どれもみな創造性豊かなものです。これら八ヶ岳山麓の縄文土器は、極めて多種多形で、世界に誇れる逸品です。












北杜市考古資料館の入り口にも、素晴らしい土器がたくさん展示されています。
私の推し土器「諸磯C式土器」も入り口にありました。しかも大型で、大きいながらも整ったとても素晴らしい土器です。




国史跡遺跡「金生遺跡」
北杜市考古資料館では、国史跡になっている縄文時代の遺跡「金生遺跡」の展示があります。

金生遺跡(きんせいいせき)は、山梨県北杜市大泉町、八ヶ岳南麓の標高約770mの尾根上にある縄文時代の遺跡です。主に縄文時代後期から晩期、約3,500~2,600年前の集落跡で、大規模な「配石遺構(はいせきいこう)」が見つかっていることが大きな特徴です。1983年(昭和58年)には国の史跡に指定されています。
発掘調査では、住居跡のほか、墓や石棒などを伴う配石遺構が確認されています。特に幅約10m、長さ約60mにも及ぶ大規模な配石は、墓や祭祀に関わる施設が組み合わされたものと考えられており、当時の人々の精神文化を知るうえで重要な遺構です。
また、土偶や石剣、石棒、耳飾り、ヒスイ製の装身具など、日常生活の道具とは異なる遺物も数多く出土しています。こうした遺構や遺物から、金生遺跡は単なる「縄文時代のムラ」ではなく、祭祀や墓、共同体の活動などが行われた重要な場所だったと考えられています。
現在は史跡公園として整備され、復元された縄文時代の住居や配石遺構を見ることができます。





金生遺跡の2号配石
2号配石は25~3mの大きさで、金生遺跡の配石遺構の中では小さい方です。円形あるいは長方形に近い形で、中央には石の少ない空間があります。内側には大きくて長い扁平礫があり、そのすぐ南に丸石が2個並んで置かれています。
この2号配石から中空土偶が出土しました。北西の石列の間にあおむけで、割れることなく発見されました。多くの場合、土偶などは埋もれた土の重さにより、割れたり、ヒビが入っていたりすることがほとんどですが、中空土偶は、それがありませんでした。
中空土偶以外にも、石棒4本と磨石1個、壺形や浅鉢形、ひょうたん形などの珍しい土器が出土していて、ここで祭祀や儀式が行われていたことを物語っています。






北杜市にある遺跡群「天神遺跡」
山梨県北杜市に「天神遺跡群」という、標高700m~950mを測る大きく南東方向にあけた斜面に位置し、背後には八ヶ岳の山体崩落により形成された流れ山が連続し、分水嶺を形成しています。
野添遺跡群、津金遺跡群、川又遺跡群、米田遺跡群、酒呑場遺跡など、天神遺跡のとなりには多くの遺跡群がありますが、天神遺跡がいちばん大きな遺跡群となっているようです。
天神遺跡群の特徴
天神遺跡群は、他の遺跡群に比較し、広大な領域をもち、八ヶ岳方向に開放しているという特徴をもっています。また、高低差が大きく、食糧となる動植物の獲得のうえで有利であったこともうかがえます。これが、長期に、安定的に遺跡群を維持することにつながったものと考えられます。
また、この遺跡群の特筆される点は、黒曜石の戦略的な確保、保有にあります。地理的に長野県和田峠付近の原産地に近く、甲府盆地東部や、関東平野といった一大産地への中継点として重要な位置にあったことを背景に、天神遺跡では400g超える大型の原石が多数出土しているほか、寺所第2遺跡では住居の中の小さな穴から34点、2.045gもの黒曜石が埋納されていました。余生遺跡では実に77㎏もの黒曜石が遺跡内から検出されており、直接原産地まで黒曜石を採掘しに向かった集団があったことをうかがわせます。
こちらは、山梨県立考古博物館に展示されている、天神遺跡から出土した諸磯C式土器です。
ほぼ完成品で出土しており、その造形美は私の中ではピカイチです!











威信財の集中
ヒスイやコハクなどは現在でも装飾品として加工され、流通しています。縄文時代においても装飾品、垂飾(ペンダント)とし手加工され、流通していました。しかし、これらは単なる装飾品としてよりも、威信財(所有者の権威を表すもの)の性格が強く、その人の死ととともに副葬されたり、装着したまま埋葬されるものが多くみられます。後に大規模な配石遺構が構築される時代になると、祈りを捧げる際、その祈りの内容と対価の代償となる供物が配石遺構からの出土が多くなります。
これら、ヒスイやコハクの出土を見ると、この地域では天神遺跡群、酒呑場遺跡群での出土が傑出していますが、前者にやや多くみられています。黒曜石の交易による富の蓄積によるものでしょうか。
未だ調査が十分進展していないものの、釜無川左岸流域上流部で黒曜石の戦略的保有や威信財検出の報告が蓄積されつつあります。




山梨県立考古博物館で展示されている天神遺跡の出土品を紹介しましたが、もちろん北杜市考古資料館でも天神遺跡の出土品は展示されております(天神遺跡についての説明が、めちゃくちゃ簡単ではありますが…)
今回訪れた北杜市考古資料館では、縄文時代の土器を中心に、土偶や耳飾り、石棒、ヒスイ製品など、さまざまな遺物を見ることができました。
特に印象に残ったのは、縄文時代の土器が時代によって大きく変化していくことです。シンプルな形の土器から、装飾がどんどん複雑になっていく中期の土器、そして後期になると再び装飾が簡素化されていくなど、土器を見ているだけでも縄文時代の変化を感じることができます。
また、金生遺跡の配石遺構や中空土偶、天神遺跡に関わる黒曜石やヒスイなどを見ていると、八ヶ岳南麓が単に縄文人が暮らしていた場所というだけではなく、さまざまな地域との交流や、祭祀、精神文化が育まれた場所だったことも見えてきます。
北杜市考古資料館には、今回紹介しきれなかった資料もたくさん展示されています。
八ヶ岳周辺の縄文文化や縄文土器、土偶などに興味がある方は、ぜひ実際に足を運んでみてください。展示されている遺物をじっくり見ていると、約数千年前にこの場所で暮らしていた縄文人の姿が、少しだけ身近に感じられるかもしれません。
北杜市考古資料館 基本情報
住所:〒407-0322 山梨県北杜市大泉町谷戸2414番地(史跡谷戸城公園に隣接)
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
- 休館日:
- 火曜日・水曜日(祝日の場合は木曜日など変動あり)
- 祝日の翌日(土日・祝日を除く)
- 年末年始(12月28日〜1月4日)
- 入館料
- 一般(高校生以上):210円(団体は100円)
- 小・中学生:100円(団体は50円)
※障害者等の減免規定あり
- アクセス
- 車:中央自動車道「長坂IC」から約10分(駐車場約20台)
- 公共交通機関:JR中央本線「長坂駅」から北杜市営バス等を利用、またはタクシーで約15〜20分
